「推古天皇三十六年(六二八)三月十八日の朝まだき、郷族桧熊浜成・竹成の兄弟、江戸浦(隅田川)に漁撈中、はしなくも一身体の御尊像を感得す」この観音像にお堂を建てて供養したのが浅草寺の創始だといわれています。

雷門(かみなりもん)
 浅草寺の総門である雷門は、浅草を代表する顔です。正式名称は、風雷神門。門の右側に風雷像、左側に雷神像を安置しています。中央に吊り下がる大提灯は、高さ4m、直径3.4m、重さ670kgです。平成4年12月に改修され、新しくなりました。

 
  雷門の二神像は、どんな神様なの?

雷門は正しくは「風雷神門」といいます。門の右に風神、左に雷神が祀られていますが、いつしか「雷門=神鳴門」とだけ呼ばれるようになりました。人々はこの二神像を風雨の順時と五穀豊穣による天下泰平を司る神として崇めています。

 

 

 

仲見世(なかみせ)
 仲見世は、雷門から宝蔵門までの約300mの道路両側に並ぶ門前商店街です。道路の両側87店舗には、人形焼、手焼きせんべい、下町の民芸品など各種の土産品をはじめ、プロも愛用する芝居や踊りの品物などが並び、全国からの観光客で賑わいます。

宝蔵門(ほうぞうもん)
 浅草寺の山門。天慶5年(942)に建立されたと言われています。慶安2年(1649)徳川三代将軍家光により仁王門として再建され、昭和20年3月の戦災により焼失するまで、その偉容を誇っていました。現在の山門は、宝蔵門と名称も改められ、昭和39年4月に復興再建されました。山門には、国宝の法華経をはじめ貴重な什宝物が収蔵されています。また、仁王尊像の阿形像(左)、う形像(右)が安置されています。桜上中央の扁額の文字は、良尚法親王が元禄5年(1692)に書かれたものです。

観音堂[浅草寺本堂]
 現在の本堂は、昭和20年3月の戦災で焼失した旧本堂と同じ形で、鉄筋コンクリート本瓦葺、和様三手先入母屋造り、間口34.5m、奥行32.7m、棟高29.4mで昭和33年10月に建てられたものです。内陣中央に、ご本尊聖観世音菩薩を安置する御宮殿があります。

 
 

本堂は参拝 できますか?

浅草寺本堂は観音堂と呼ばれ、大屋根の急勾配が美しいことで知られています。内部は外陣(げじん)と内陣(ないじん)とに分かれており、大扉が開いている昼間は誰でも内陣まで入って自由に参拝できます。お堂では毎朝、夏は午前6時、冬は6時半に一日の行事が始まります。

 

 

 
写真
観音堂内陣内
陣中央にはご本尊奉安の御宮殿が安置されている。三方扉になっている。御宮殿としては日本一の大きさ。
 
 

ご本尊は本当にあるのですか?

ご本尊(聖観世音菩薩)はありますが、残念なことには参拝することはできません。だだし、秘仏のご本尊の前の間の「お前立(まえだち)」のご本尊は33年ごとの順年開帳のほか、慶祝あるいは記念の行事の際に臨時開帳が行われます。

 

 

 

二天門(にてんもん)
 本堂の左側に建つ二天門は、元和4年(1618)に東照宮(焼失)を境内に勧請した時に、将軍参詣の門とした随身門でした。現在は、浅草寺の側門にあたり、戦災からも免れ重要文化財に指定されています。三条実美公筆の額が掲げられ、慶安時代の作である増長天、持国天の二像が左右に安置されています。門の造りは、八脚門、切妻造、本瓦葺。

五重塔(ごじゅうのとう)
 天慶5年(942)に平公雅によって建立されたのが始まり。その後数度の火災で焼失しましたが、その都度再建され、徳川三代将軍家光により再建されました。この五重塔は、国宝の指定を受けていましたが、昭和20年3月の戦災で焼失。現在の塔は、昭和48年11月に鉄骨、鉄筋コンクリート造り、建物の上に五重塔を建てる塔院づくりの方法で再建されたものです。地上53.32m。



 


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